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泰緬戦争 (1765年-1767年) : ウィキペディア日本語版 | 泰緬戦争 (1765年-1767年)[たいめんせんそう] 泰緬戦争(たいめんせんそう)は、コンバウン王朝ミャンマーとアユタヤ王朝シャムの戦争。426年続いたアユタヤ王朝はこの戦争で完全に滅亡した。 == 経過 == 1761年から1763年にかけて、シャムは、当時ミャンマー領だったチェンマイの反乱とダウェイに住んでいたモン族の反乱を支援していたが。いづれもミャンマー軍に鎮圧されていた。兄、ナウンドージの死後即位したシンビューシンは1765年8月、ラーオ族、モン族、シャン族からの徴募兵を加えた大軍を編成して、テナセリムとラーンナーの2方面からシャムを攻撃した。ミャンマー軍は各地でシャム軍に勝利していったが、慎重を期して占領地からも募兵した事と、ミャンマーの将軍であるティハパテーが率いた軍勢が、今のシンブリー県にあったバーンラチャン村の村人たちの抵抗によって5ヶ月間足止めされたこともあり。アユタヤ王都を包囲したのは、進行開始1年後の1766年となっていた。
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